海外のSF・ファンタジー小説紹介ブログ

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アメリカ製の超豪華な東洋風ファンタジーのアニメ ★★★★ The Legend of Korra (Nickelodion)

★★★★ The Legend of Korra (Nickelodion)

言語 英語

話数 52(完結)

ジャンル 東洋・スチームパンク・異能力バトル・ロマンス・百合

 アメリカの超人気アニメなのだ!

 The Legend of Korraは、450万人が視聴し、IGNのBest TV Animated Seriesなど数々の賞を総なめにしたアメリカのアニメです。1万以上の記事を含む専用Wikiがあることからも、その圧倒的な人気がうかがい知れます。英語ですが、子どもむけに作られたアニメなので、簡単なフレーズと単語しか出てきません。私のような英語下手でもなんとか聞き取れました。

 世界観は東洋風です。そしてある程度の近代化がすすんでいて、空には飛行船が飛び、町では自動車が走っています。この世界を舞台に、炎、水、大地、気、の4つの物質のどれか1つを自在にコントロールできる能力者(Benders)たちが縦横無尽に戦います。その戦闘シーンは圧巻。アクション映画並みです。それもそのはず。実際に東洋武術家に1つ1つの動作をさせて、それをベースとして絵をかいているからです。

シンプルで奥深い世界観

  世界観は、子供でもわかるように作られたこともあって、とてもシンプルなのですが、大変に奥深いものです。目玉の異能力も、たったの四種類しかありません。

 

  炎の能力者(fire bender)は、炎や電気を発生させて、自在にコントロールできます。シンプルに強いです。炎の能力者は、日本っぽい火山列島(Fire Nation)出身者にいます。

 

  水の能力者(water bender)は、水や氷を自在にコントロールできます。使い方は様々で、氷をナイフとして使うこともできれば、水を使って傷をなおすこともできます。一見強そうですが、周囲に水がなければ何もできないただのザコになってしまいます。しかし、水使いの中には、一番力が強くなる満月のときに、敵の体内の血液まで操れる者もいます。水の能力者は、イヌイット風の水の部族(Water Tribe)出身者にいます。

 

 大地 大地の能力者(earth bender) は、岩を自在にコントロールできます。上級者は、岩だけでなく鉄をコントロールしたり、足の裏から大地を通じて、世界を見たりすることができます。大地の能力者は、中国風の大地の王国(Earth Kingdom)出身者にいます。

 

  気の能力者(air bender)は、風や空気を自在にコントロールできます。凧にのって空を飛んだりできる夢あふれる能力です。上級者は、幽体離脱して精霊界(Spirit World)に行ったりできます。気の能力者は、気の寺院(Air Temple)出身のお坊さんたちの中にいるはずなのですが、過去の虐殺事件のせいで現在世界に1人しか生存していません。

 

 能力者(benders)は上の4つのうち、1つの能力しか使えません。しかし、世界に1人だけ、4つすべてが使える人がいます。それがアバター(avatar)です。アバター(avatar)は死亡したときに、転生します。そのため、アバター覚醒(avatar state)すれは、過去に存在したすべてのアバターの記憶と能力を使うことができるのです。覚醒したアバターは、火山を噴火させ、大陸を動かします。国一つ束になってもかなわない最強の存在になるわけです。そして、この物語の主人公コラ(Korra)は、このアバターなのです。

主人公最強にみえるけど…

 それならば何でも主人公のアバターの思い通りになるか、と言われれば、そうでもないのがこのアニメのおもしろいところです。

 1つ目に、世界のバランスをとることが、火・水・大地・気の4つの能力すべてを使える唯一の存在である、アバターの使命であるということです。悪いヤツを倒して、それで終わり、というわけにはいかないのです。

 2つ目に、アバターとして覚醒するのは大変であるということです。アバターは世界のバランスをとる存在ですが、まず自分の心の中のバランスをとらなければなりません。自分の心のバランスがとれなければ、「覚醒」して、最強モードに入れないのです。主人公コラも私たちと同じ人間なので、慢心したり、恐怖に悩まされたりします。それらを乗り越えて、やっと最強の存在になれるのです。その過程は、物語の醍醐味の一つでもあります。

 3つ目に、最強国家アメリカがテロリストになかなか勝てないのと同じように、最強のアバターといえど、潜伏する敵には勝てないという事情があります。

 というわけで、主人公はたくさんの仲間に支えられ、助けられて、なんとか困難な壁を乗り越えていくのです。ここで、主人公と愉快な仲間たちを紹介しますね。

主人公コラと愉快な仲間たち

Peaceful Korra  コラ(Korra) 我らが主人公。17歳のアバターで、水の部族(water tribe)出身の少女。勝気でケンカが大好き。アバターとしての使命感に燃えており、暴力団とケンカしてトラブルになることも。アバターとして、火、水、大地の3つの能力が使えるようになったものの、なぜかだけ使えない。そのため、世界唯一の気の能力者、丹增(Tenzin)のもとへおしかける。

 

Tenzin 丹增(テンツィンTenzin) コラの師匠のお坊さんで、世界で唯一の気の能力の使い手。頑固で古臭いけど、けっこう優しい。国際都市の共和城(Republic City)の指導者の1人。共和城の治安の悪化に悩んでいる。ちなみに、ダライラマの本名もTenzinです。

 

Mako 馬高(マコMako) 共和城の異能力プロレス(Pro-Bending)の選手で、炎の能力の使い手。15歳のクールなイケメン。主人公コラも一目ぼれします。しかし、あまりコラに興味がない様子…

 

 

Bolin and Pabu愽林(ボリンBolin)  共和城の異世界プロレス選手で、馬高の弟。大地の能力の使い手。愉快な奴で、いわゆるネタ担当。主人公コラを好きになるけど、結果は…

 

 

Asami Sato 佐藤あさみ(Asami Sato) 共和城一の大企業"Future Industry"オーナーの、18歳の令嬢。何の異能力ももっていないし、お嬢様だけど、格闘技の天才。美人でスタイルがよく、性格もいい。欠点がどこにもないので、「佐藤あさみがカンペキすぎておもしろくない件について」というスレが立つほど。イケメン馬高と相思相愛状態になって…

あらすじ

 そんな主人公たちが活躍する舞台は国際都市の共和城。火・水・大地・気の4民族の融和の象徴になるはずのこの町ですが、不穏な空気がたちこめています。何の異能力ももたない普通の人たち(Non benders)の一部が、平等を旗印に、秘密結社(Equalist)を作って、テロ行為を行っているというのです。

 アバターである主人公のコラが、唯一使えない気の能力を習得するために、出身地の南極から共和城に来たところから、物語ははじまります。コラは、アバターとしての使命を果たし、共和城と世界にバランスをもたらすために、奮闘するのです。

 これがThe Legend of Korraの大まかな話なのですが、実はThe Legend of Korraの前にも、同じ世界を舞台にした、全61話のアニメシリーズ(Avatar: The Last Airbender )とマンガ(Promise三部作, Search三部作, RIft三部作)があり、それらがThe Legend of Korraの前日譚となっています。それらのストーリーを知っていた方が、物語を楽しめるかもしれません。というわけで、大雑把にご紹介します(ネタばれあり)。

前作の話

 前シリーズの主人公は、コラの転生前のアバターである、安昂(アンAang)でした。安昂(アンAang)の時代は、世界に4つの国がありました。火山列島(Fire Nation)、大地の王国(Earth Kingdom)、水の部族(Water Tribe)、気の寺院(Air Nomad)です安昂はこの中の気の寺院の小僧でしたが、アバターとしてのプレッシャーに耐えきれずに逃げ出します。しかし、海上で嵐にあい、命の危険にさらされます。安昂はアバターの力を覚醒させ、最期の力をふりしぼって、自分の体を氷漬けにします。氷漬けになった安昂はそのまま100年間の間眠り続けることになります。

 安昂のいなくなった世界では、バランスは完全に乱れ、強いものが好き放題に振る舞うようになります。火山列島の炎の能力者たちは気の寺院に攻め込み、気の能力者を皆殺しにします。そして、その勢いで大地の王国への侵略を開始します。こうして、百年続く戦争が勃発します。

 氷漬けになった安昂は100年の期間を経て、水の部族の少女カタラ(Katara)によって氷から解放されます。安昂、カタラとその仲間たちは、幾多の困難を潜り抜け、火山列島の暴走をとめ、戦争を終わらせます。そして、火山列島の占領地に4民族の融和の象徴として、共和城(Republic City)を建設します。

 本作で主人公コラ(Korra)の師匠となる丹增(Tenzin)は、安昂、カタラの息子で、世界でただ一人となった気の能力者なのです。

熱狂的?なファンたち(百合的に)

 

Korrasami Close up Sketch
Korrasami Close up Sketch by Tsubasa-No-Kami on DeviantArt

by Tsubasa-No-Kami is licensed by

http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/

 本作は、そのまま見てもおもしろいのですが、ファンたちの盛り上がりも魅力の一つです。13万人以上のファンたちが見ている巨大掲示板もあります。製作陣もファンの意見を大切にしていて、それも物語るエピソードもあります。

   このシリーズの最初の方の恋愛要素は、主人公の少女コラ(Korra)が、イケメンの馬高(Mako)が好きなのだけど、馬高の方は、お嬢様の佐藤あさみ(Asami Sato)が好きで、二人は相思相愛、という三角関係でした。しかし、ファンたちの中でも百合好きたちが主人公コラ(Korra)あさみ(Asami)の百合カップルを妄想しだして、それがコラさみ(Korrasami)ファンと言われるようになります。コラさみファンは雪だるま式に増えていき、短期間でファンの中でも最大勢力となります(私もその手先でした)。とうとうコラ役の声優さんまでコラさみファンになり、製作陣も私たち彼らコラさみファンの声を聞くようになったのです。

 その結果、物語がすすむにつれて、コラ、馬高、あさみの三角関係はよじれまくった妖しいものとなっていきます。一応、子供向けアニメなんですけどね…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貧乏人のインターネットvs.お金持ちの著作権

トピック「著作権」について

  インターネットの一番すごいところは、貧乏人でも情報を発信できることでしょう。そして情報を発信するときは、他人のアイデアや表現をパクることがあります。たとえば、多くのファンタジー小説が、指輪物語のアイデアをパクっている、というのはよく言われることです。しかしパクリはいいことです。指輪物語をパクったファンタジー小説を世界中の人が楽しんでいます。

 ところが、他人のアイデアだけでなく、表現までパクろうとすると、著作権法の壁にぶつかります。ちゃんと許可を取りに行かなければならないことになります。

 でもここで問題が出てきます。貧乏人でも情報を発信するので、他人の表現の使用許可を取りたい人は増えます。しかし、発信される情報が多すぎる上に、表現は長く長く守られるので、そもそも誰のものなのかわからなくなった表現もたくさんでてきます。それを調べるにはお金と労力が必要です。貧乏人にはきついです。そして例外だらけの法律は複雑で曖昧なのに、貧乏人には法律のプロが雇えません。たとえば、表現とアイデアの違いなんて普通わかりません。

 著作権法は、もっとお金持ちな人たちを想定しているのかもしれません。お金持ちなら、例外の多い複雑な法律も、プロに処理させたら安心です。情報を作った人が誰かわからなくても、お金の力で、作った人とそれを相続した人を探してくることができます。表現は、作った人が死んだ後も50年(欧米では70年)守られるので、お金持ちは儲かりそうな表現を利用する権利を買い取ることで、末長く大儲けできます。

 表現を利用するときの条件のテンプレを作ろう、というクリエイティブ・コモンズの試みがあります。しかし、貧乏人の多いインターネットとお金持ちを想定した著作権の仕組みは、今摩擦を起こしている段階なのかもしれません。そしてそんな著作権法は、国際的なベルヌ条約をベースにしているので、簡単には変えれないのです。

 

 

  

欧米人に無神論と言うと、キチガイ扱いされる本当の理由

 

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  よく、欧米人に自分のことを無神論だと言うと、キチガイ扱いされるって聞いたことがありませんか?その理由として、「日本は宗教の影響が薄いけれど、欧米ではキリスト教の影響が強いからだ」なんてことが平気で言われます。

 しかし、欧米の人たちも、私たちと同じような近代的な教育を受けてきているはずです。近代的な教育というのは、非宗教的なものであるはず。それなのに、なぜ欧米人だけがそんな宗教キチにならなければならないのでしょうか。「欧米人はキリスト教キチだ」、というのは、「日本人は神風特攻野郎だ」というのと変わらない、安直なステレオタイプ化だと思います。

 では仮に、欧米人に自分のことを無神論と言うと、キチガイ扱いされるということが事実だとしたら、その本当の理由は何なのでしょうか。

 私は単に、日本人の言葉の使い方の間違いが誤解を生んでいるだけ、というのが大部分だと思います。

 そもそも、無神論って何でしょうか。

 無神論(atheist)というのは、「神様が存在しないことを信じること」です。神様が存在するかしないかなんて、普通はわかりようがないと思いませんか。それでもあえて神様が存在しないことを信じよう、という人たちが無神論なのです。こんなことを信じている人がいたら、欧米人でなくても、ヤバイ人、過激な思想を持つ人だと思うと思いませんか。私なら、「この人は、過去に神様の存在を否定せざるをえないような悲惨な出来事にあったのかな」と思ってしまいます。

 しかし、多くの日本人はこんな無神論の思想を持っていないはずです。むしろ「宗教なんて真剣に考えてこともない」とか、「神様が存在するかしないかなんてわからない」(agnostic)という人がほとんどではないでしょうか。そういう人たちが、無神論の正確な意味を知らないために、自分のことを無神論(atheist)と言ってしまう。その結果、欧米人にキチガイ扱いされる。真相は、そんなところではないでしょうか。

科学的なギリシア神話の世界のハリポタ ★★★★ Orphans of Chaos(John C.Wright)

 

 

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 ★★★★ Orphans of Chaos(John C.Wright)

 言語 英語

 ページ数 319

 シリーズ 3部作の第1巻

  人称 主人公の一人称(I am ...)

 日本語訳 なし

 ジャンル SF・ギリシア神話・学園

  小説って何を基準に選びますか?もちろん絶対に譲れない条件は、おもしろい事だと思いますし、それがなければエンターテイメントにはなりえません。でも、小説を読むことで、自分の知らない世界を知りたいとか、自分の興味関心を広げたいって思うこともありませんか?もしそうならこの本はアタリかもしれません。おもしろいだけでなく、ギリシア神話と科学の世界観について、もっと知りたくなって、世界が広がると思います。

 主人公のAmeliaは、現代のイギリスの田舎にある寄宿学校の少女です。この学校は不思議な学校です。というのも、生徒がたった5人しかいないからです。主人公のAmeliaと、Victor、Colin、Vanity、Quantinです。不思議なことはもっとあります。5人が5人とも、両親がいなくて、自分の本当の名前を知らなくて、そもそも自分が何歳なのかも知りません。先生に聞いても、はぐらかされるばかりで何も教えてくれません。

 f:id:sfft:20140824182919j:plainあるとき主人公Ameliaが夜に寝室から抜け出して、寄宿学校のホールに忍び込むと、そこでは学校の先生とギリシア神話の神々が会議をしていました。そこでAmeliaは知ることになります。主人公たちの寄宿学校を運営していたのはギリシア神話のオリンポス12神。そして主人公たち5人の生徒は、オリンポス12神に敵対する神々の人質で、人間ではなく神々だったのです。

 Ameliaは同時に、ギリシア神話の神々が、主人公たち5人も含め、科学の歴史における4つの世界観の1つをもっていることを知ります。

 1つ目の世界観は、迷信的な世界観で、5人の生徒のうちのQuantinの世界観です。この世界観をもっていれば、たとえば相手が約束を破ってきた時に、相手にバチをあたえることができます。

 2つ目の世界観は、ニュートン以降の科学の世界観で、5人の生徒のうちのVictorの世界観です。この世界観をもっていれば、たとえば物質の分子配列をかえて毒を作りだすことができます。

 

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  3つ目の世界観は、アインシュタイン以降の科学の世界観で、5人の生徒のうちの主人公Ameliaの世界観です。この世界観をもっていれば、たとえば4次元の世界を見て、そこに行ったりできます。3次元の世界の壁も4次元の世界からなら越えることができます。

 4つ目の世界観は、自己中心的な世界観で、5人の生徒のうちのColinの世界観です。この世界観をもっていれば、自分が本当に望んでいることが現実になります。チートっぽいですけど、本心から望んでいないと何もおこりません。自分の片目と交換してもいいくらい欲しくないと、好きな女の子も自分のものになりません。

 ちなみに、最後のVanityは4つの世界観をつなぐ存在です。

 おもしろいのは、4つの世界観のそれぞれに弱点があることです。1つ目の迷信的な世界観は、2つ目のニュートン以降の科学の世界観に負けます。そのニュートン以降の科学の世界観は3つ目のアインシュタイン以降の科学の世界観に負けます。アインシュタイン以降の科学の世界観も、4つ目の自己中心的な世界観によって負けてしまいます。そして、自己中心的な世界観も、1つ目の迷信的な世界観に負けてしまうのです。

 主人公Ameliaたち5人の生徒は、それぞれの世界観をうまく使って、オリンポスの神々を出し抜き、寄宿学校から脱出することに挑戦します。

 科学の歴史とギリシア神話というとっつきにくい要素ですが、物語が普通の女の子である主人公の目を通して語られるので、とてもわかりやすく感じます。

 また、主人公たちが、少なくとも見かけ上は十代の少年少女なので、恋愛要素もあります。主人公AmeliaもVIctorが好きですけど、Victorはまじめすぎて、それに気付いていないようです。ですが、2巻以降でどう展開していくのか楽しみです。

 SFはほとんど読んだことのない私でも楽しめました。おすすめです。

氷河期の近代ヨーロッパを舞台にした冒険×ロマンス ★★★★ Cold Magic(Kate Elliott)

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 ★★★★ Cold Magic(Kate Elliott) 

 言語 英語

 ページ数 580

 シリーズ 3部作の第1巻

  人称 主人公の一人称(I am ...)

 日本語訳 なし

 ジャンル 歴史改変モノ・魔法・ロマンス

 歴史のifって考えたことはありませんか?もし氷河期がずっと続いていたら。もしポエニ戦争カルタゴが負けなかったら。この小説の舞台は、まさしくそんなifの世界です。時代は1837年なのに、世界は氷河期の氷で覆われています。飛行船が大陸を横断する時代なのに、古い氷の魔法が残っています。そして、現実にはポエニ戦争で滅んだはずのフェニキア人がヨーロッパ中に散らばっています。

 主人公のCatも、そんなフェニキア人の少女です。氷河期なので大陸とつながったブリテン島のAdrunamという町で大学に通いながら、おじと一緒に暮らしています。どちらかと言えば、マジメな性格の女の子です。

 f:id:sfft:20140824013724j:plainある日Catは、おじが昔結んだ契約によって、氷の魔法使いAndevaiと結婚することを強制されます。そしてAndevaiに問答無用で連れ去られてしまいます。このAndevaiがなかなか冷たい男なんです。「おれみたいな権力のある男と結婚できて幸せだろ」みたいなことを平気で言います。そしてCatとAndevaiは、正体不明の刺客に襲われます。

 物語は、ナポレオンを連想させるCamjitaや、アメリカ大陸から来た科学技術に長けたトロールたち、氷の魔法使いの一族、フェニキア人という様々なプレーヤーを巻き込みながら、ダイナミックに発展していきます。

 主人公CatをさらったAndevaiは、氷の魔法を使う氷の魔法使いなのですが、この本の中の魔法の設定はとてもおもしろいです。氷の魔法は、精神世界から力を吸い上げることによって、現実世界の自分の周囲の温度を下げて扉の錠をこわしたり、氷の嵐をおこしたりする魔法です。この精神世界というのは、現実世界とつながっています。たとえば、氷の魔法使いAndavaiの魔法の馬車は、一方のドアが現実世界、もう一方のドアが精神世界につながっています。

 氷の魔法のルーツは、昔からフランスのあたりに住んでいたケルト人の魔法と、アフリカのマリ王国の魔法にあります。マリ王国の人たちは、昔、アフリカでおこった大惨事の難民のようです。

 f:id:sfft:20140824100143j:plainこんな感じで、魔法の力の源が、世界観や歴史の謎とリンクしているので、何かリアリティを感じます。たとえば「魔法とは人間の内なるパワーだ」みたいに唐突に出てくる薄っぺらい魔法と違って、こんな魔法もあるかもしれない、と感じてしまいます。

 

 主人公CatとAndevaiのロマンスも見所です。最初は相手を見下したり、軽蔑したりしていた2人ですが、徐々にお互いを理解しあい、距離を縮めていきます。

 

 2巻では舞台がアメリカ大陸に移るようです。歴史好き、ロマンス好き、スチームパンク好きなら、おもしろく感じること間違いなしです!

ファンタジー小説というと、どんな本を思いうかべますか?


f:id:sfft:20140823233823j:plain   ファンタジー小説というと、どんな本を思いうかべますか。ドラゴン、魔法、勇者。そんなキーワードが出てくるかもしれません。また、ワンパターンで、子供時代で卒業するような本だと、言う人もいるかもしれません。

 しかし、ファンタジー小説というのは、もっと広いものだと思います。そもそも、「ファンタジー」という言葉の語源は、「想像すること」にあるようです。この現実の世界ではなくて、作者が想像した世界を舞台にした小説は、すべてファンタジー小説だと思います。

 ファンタジー小説の作者は、自分で一から別の世界を作りださなければなりません。そうであるからこそ、ファンタジー小説には、作者の宗教観であったり、生まれ育った文化の影響がとても強く出てくるのだと思います。海外のファンタジーを読むことは、間接的に海外の文化を味わうことであり、世界の広がる体験だと思います。

 日本のファンタジー小説を読んでいると、舞台が異世界なのに、そこに日本的なものを感じて、アットホームな感じがすることが多い気がします。逆に、アメリカのファンタジー小説を読むと、あっと驚くような世界観をもつものが多いと感じます。それはやはり、作者の技術の巧拙と言うより、作者の生まれ育った文化が、私の育った日本のものと全く違うからだと思います。

 そんな海外のファンタジー小説ですが、日本語に翻訳されていない、マイナーでもおもしろい作品がたくさんあります。また、翻訳されているものでも、原書にはまた違った雰囲気があると思います。それに原書を読めば英語の勉強になるかもしれません。

 そこで、海外のファンタジー小説の中でも英語の原書を紹介することで、もっと多くの人に海外のファンタジー小説を楽しんでもらいたいと思い、このブログを作りました。